みちすがら

寄り道、近道、回り道

何かを学ぶって一朝一夕にはいかない

最近は、世界史の勉強をしています。
僕は、今でこそ社会学に関心をもっているものの、高校生のころは理系クラスに在籍していて、世界史をきちんと学校で勉強する機会を作れませんでした。
ですが、社会学を学んでいても、教育学を学んでいても、私たちの社会が時の流れとともにどのように変化をして現在の形になったのかを知っておくことがとても重要だと感じることが多い気がします。
だから、僕は今世界史の勉強をしているのです。

 

比較的ゆったりと、世界史の勉強をここ一年くらいしているのですが、この勉強の過程で気づいたことがありました。それは、本当の学びって一朝一夕に得られるようなものではない、ということです。

教科書を読んで、ノートにまとめる。それをもとにして何かを書いてみる。常にアウトプットとともにインプットを行うことを通じて、勉強の効率を上げることは間違いなくできると思います。

でも、どんなに効率を上げても、その一時の学びは自動的にこれから先もずっと半永久的に脳に刻み込まれ続けるような本当の学びとして体に定着するわけではないと思うんです。

どんなに効率よく学んでも、ずっと使い続けなければ、忘れます。というか、すぐには思い出せなくなります。それをいろんな方法で思い出して、また忘れて、また思い出して…。きっと、そのくり返しが本物の学びを得る唯一の方法なんだと思います。

そして、そのプロセスにはどうしても時間がかかってしまうものです。だから、学ぶ事は決して一朝一夕にはいかないものなんです、たぶん。

だから、僕は焦らないで少しずついろんなことを覚えて、忘れて、また思い出して…。それを繰り返して少しずつ学びを積み上げていこうと思います。

まさに、「ローマは一日にして成らず」ってやつですね。

 

追伸

最後に、関係ありませんが世界史を学ぶ時のいい方法と感じたことをメモしておきます。複数の教科書を同時に使うのはとてもいいです。例えば、僕は今「哲学史」の観点から書かれた本と「法思想史」の観点から書かれた本に加えて、世界史の教科書を読んで勉強をしています。同じ時代についての解説を、哲学、法、世界史それぞれの観点から学ぶ事で、いろんな視点からその時代を眺めることができるし、視点同士の間にある関係について、独自の考察を深めることができるので、とても主体的な学習ができている気がします。時間はかかりますが、最高です。