みちすがら

寄り道、近道、回り道

国際教養大学―就職予備校から「就職予備校」へ

最近、教育と仕事の接続に関する本を読んでみているのですが、とても面白いです。何でしょうか、痒い所に手が届くというか。なんというか、アクション映画を観ているかのような爽快感があります。

 

そんな中で、「就職活動」や「働く」ということ、「学校と仕事」の関係について、考え方が変わってきたのを感じています。本田由紀さんの本ばかり読んでいるので、ものの見方にめちゃくちゃ偏りがあることは自覚しているのですが、その点の改善は今後の課題にします。そのうえで、ちょっと思ったことを書こうと思います。

 

本田さんの本の言葉を借りると、僕は大学に在学中「教育に職業的意義は不要だ」という立場、特に「教育が仕事に役立つ必要はない、教育はもっと高尚な、人格を形成し教養を高めるためのもの、あるいは一般的・基礎的な知力や柔軟な『人間力』を養うためのものだ」という立場に重心があったように思います。

ですが、現実として教育の構造と社会構造が対応していない中で、教育の世界から仕事の世界に出て仕事をしなければいけない現実を考えれば、高等教育においても職業能力を養成することの重要性は認めざるを得ない、というか、もっと職業能力を学生に与えることができるような教育が求められていると考えるようになりました。つまりは、在学中は就職予備校と国際教養大学のことを「陰に陰に」散々揶揄してきた僕ですが、「職業能力を身に着けた者を輩出する機関」という意味での「就職予備校」であれば、それを擁護する立場に立つこともやぶさかではなくなったというわけです(ただ、この場合「就職予備校」という呼び方は全く適切であるとは思いませんし、学生に内定を与えることを第一義的な目標とするような機関としての就職予備校として大学が機能することに対しては、依然として断固反発しますが)。そのうえで、国際教養大学を見返してみると案外、前向きに評価できる部分はあることに気が付きました。以下では、その点についていくつか述べてみようと思います。

 

本田さんは「教育の職業的意義」(ちくま新書)のなかで、「仕事の世界への準備として欠かせないもの」について、2つのことを挙げています。それは、「第一に、働く者すべてが身に着けておくべき、労働に関する基本的な知識であり、第二に、個々の職業分野に即した知識やスキル」だといいます。そして、それぞれについて「前者は、働かせる側の圧倒的に大きな力、(中略)に対して、働く側がただ翻弄されるのではなく、法律や交渉などの適切な手段を通じて〈抵抗〉するための手段であり、後者は働く側が仕事の世界からの要請に〈適応〉するための手段である」と述べています。

このそれぞれの観点から、国際教養大学はどのように見ることができるでしょうか。まず、〈適応〉のための能力について考えてみると、国際教養大学での教育は評価できる部分はあるのかな、と感じます。この、〈適応〉のための能力には、仕事と対応するような専門性が含まれるであろうと僕は解釈しているのですが、国際教養大学にはその専門性として「英語運用能力」があるだろう、と思います(それ以外で専門性とみなすことができる要素があるとは僕には思えませんでした)。僕は在学中、「英語力」を高等教育機関が学生に与える専門性としてみなすことに抵抗を持っており、「大学は英語塾じゃないぞ」と反発していたのですが、職業能力という観点から捉え直せば、英語力は立派な専門性になり得ます。実際に、一定数の企業の方は英語力を目当てに国際教養大学の学生を採用しているだろうし、一定数の先輩方は英語を用いる「専門職」(ここでは、英語能力を専門的な能力とみなした上で、こうした仕事を鍵括弧付きの「専門職」と呼んでいます)についているでしょう(ただ、卒論のゼミで、OBOGにメールを送ってアンケート調査をしている方がいましたが、自分が思っていたよりは卒業生は英語を仕事で使っていないな、と感じた記憶があります)。

 

では、〈抵抗〉するための能力はどうでしょう。この点について、国際教養大学は〈抵抗〉のための職業能力を養成することはできていないと僕は思っています。ただ、これは国際教養大学だけの問題というよりは、日本の学校教育全体の問題です(〈適応〉の能力の養成も日本の学校教育全体の問題です)。本田さんは、先ほど紹介した本の中で、日本の若年労働者の〈抵抗〉の能力に関して、「十分に形成されているかどうかは疑わしい」とし、いくつかのデータを紹介しています。そのうちの一つが、NPOPOSSE2008年に実施した「若者の「仕事」調査」の結果であり、それによると回答者の半数以上が「職場で違法な処遇を経験」したことがあると答えたそうです。さらに、そうした違法な処遇への対処に関する質問に対しては、大半が「何もしなかった」と回答しており、その理由として「その他」以外で最も多かったのは「是正できると思わなかった」で、その次が「その時は違法だとわからなかった」であったといいます(もうすこし詳しいデータについては、本田さんの「教育の職業的意義」を読んでみるか、もっと詳細に知りたければPOSSEの調査を参照してください)。こうした調査の結果を踏まえて、本田さんは、日本の若い労働者たちは「労働者として何をどこまで正当に要求し得るかについての知識を欠いた無防備の状態のまま、厳しい労働市場にさらされているのである」と結論付けています。

 

ここで指摘されているように、「正当な働き方とはどのようなことか」についての知識や意識が希薄であるということについては、国際教養大学の学生や卒業生も例外ではないだろうと、僕は思います。このような問題を乗り越え、就職予備校、国際教養大学が職業能力を養成することができる「就職予備校」へと変わるために、まずは「正当な働き方とは何か」について学生同士で議論等をしてみてはいかがでしょうか。