みちすがら

寄り道、近道、回り道

「死」というメッセージ

社会において重要な問題はなんなのか。
或る問題は、社会にとって非常に深刻な問題だ。
なぜなら、それが原因で人がたくさん死んでいるからだ。
こんな問題の設定の仕方をしていると、苦しんでいる人にとって死ぬことがその苦しみを社会に理解してもらうための方法である、という考え方が広がってしまう気がする。
その人は、自分の苦しみを理解してほしくて死を選ぶのに、社会がその人の苦しみに寄り添おうとしたときには、もうその人はいない。
そんなの悲しすぎる。

或る問題が深刻だから人がそれによって死を選ぶのであって、多くの人がそれによって死んでいるからその問題が深刻なのではない。
あの人が死を選ぶ前に、あの人が抱える苦しみの深刻さに気づき、それを取り除かなければいけない。

「死にたい」という人は、ほんとうに死にたいわけではないことが多い。
ほんとうに死にたい人はきっと、「死にたい」という言葉を冗談にできない。

この文章は、沈黙と「死にたい」の間くらいにあると思う。