みちすがら

寄り道、近道、回り道

バラバラな心

生きる意味って何だろうか。
人生の目的って何だろうか。

最近は、ふとした時に突然と自分を襲うそうした疑問におびえながら一日一日を生きている。前は、そんな風に考えることはなかったのに、最近は未来を思うことがとても怖く思える。どうしてだろう。

何をしても最後には終わりが訪れる、という確実な事実がそこまでの過程のすべてから意味を奪ってしまう。そんな気がしてしまう。だから、どんな想像も最後は意味を奪われて終わりを迎える。終わりにさえ、消失にさえ、奪われることのない、生きることの意味とは何だろうか。消えてしまったとしても、消えることのない意味なんてあるのだろうか。

死ぬその瞬間に、「自分の生に一体どんな意味があったのか」その問いに対する答えを持てるような生き方はどうすればできるのだろうか。今の僕には、何も思いつかない。

僕が特にその想像にとらわれるのは、「もしも、日本の企業に普通に就職することになってしまったなら」と考えるときだ。学生には終わりがあった。毎朝同じ時間に起きて、同じ時間に電車に乗って同じ場所に通った。その日々は次の場所に向かっていた。その実感があった。中学が終われば、高校、そして大学それははっきりと見えていた。

でも、働くということは違う。出口は見えない。終わりは見えない。ゆく当てもなく、同じ毎日を繰り返す。本を読むこともあるかもしれない。映画を見ることもあるだろう。でも、何のために本を読む?なんのために映画を見る?自分を失った自分に与えられた空虚なその時間を埋めるそのために、物事をするのか。何にもつながらない、自己目的化した行為に没頭したふりをするのか。

そんな生活を想像すると、本当に怖くなる。

向上心を失うと、人生は無味乾燥になるのかもしれない。
自分が何を目指しているのか、それがわからなくなった時、人生から意味が失われるのかもしれない。会社に入っても、どこにいても、目標やゴールを忘れないでいたい。

同時に、自分の目標やゴールを決めるとき、決して投げやりな選択はしたくない。
ただ、どうすれば投げやりで無い選択ができるのか、それはわからない。
今は、怖い。本当に怖い。自分のいるこの場所が、この道が正しいのか、それがわからないから。ゴールも見当たらない。日々がその意味を失った消費活動になってしまう。

今の気持ちはバラバラで、粉々で、どうすればいいのかわからないけれど、あきらめたくはなくて。だから、すごく苦しくて。まとめることはできないから、ここに書いたこともバラバラのままだけど。今はこの一日を生きていこうと思う。